がん治療では、がん細胞そのものを攻撃するだけでなく、
「がんが周囲へ広がる仕組み」
「転移しやすい環境」
「抗がん剤が効きにくくなる仕組み」
を治療標的として考える研究も進んでいます。
その中の一つが、ヘパラナーゼ(Heparanase:HPSE)です。
HPSEは、細胞の周囲に存在する「ヘパラン硫酸」という構造を分解する酵素です。
これによって細胞外マトリックスや基底膜と呼ばれる組織構造が変化し、がん細胞の浸潤や転移、血管新生、腫瘍周囲の環境形成などに関係すると考えられています。
目次
HPSEと、がんの浸潤・転移
がん細胞が別の場所へ転移するためには、まず周囲の組織へ入り込み、さらに血管やリンパ管などへ侵入する必要があります。
HPSEは、その際に周囲の構造を変化させる酵素の一つとして研究されています。
実際、HPSEの発現が高いがんでは、浸潤や転移、予後との関連が報告されています。
例えば大腸がん130例を解析した研究では、HPSEの過剰発現が、
- 静脈浸潤
- 肝転移
- 血管新生
- 再発
などと関連していました。
さらに、この研究ではHPSE過剰発現群の5年生存率は47.7%、HPSE陰性群では84.6%と報告されています。
参考:Heparanase expression in human colorectal cancer and its relationship to tumor angiogenesis, hematogenous metastasis, and prognosis PMID:15334632
HPSEそのものを抑えるとどうなるのか
「HPSEが多いがんほど悪性度が高い」という関連だけであれば、HPSEが単なる結果なのか原因の一つなのかは分かりません。
そこで研究されているのが、
HPSEそのものを抑える実験です。
HPSEをsiRNAなどによって抑制した研究では、
- がん細胞の浸潤低下
- 細胞接着の低下
- 血管新生の低下
- 転移の低下
などが確認されています。
動物モデルでは、生存期間の延長も報告されています。
参考:Edovitsky E, et al. Heparanase gene silencing, tumor invasiveness, angiogenesis, and metastasis. PMID:15316057
HPSEを遺伝子レベルで抑えることで浸潤、血管新生、転移が実際に低下したことを示した重要な基礎研究です。
乳がんでもHPSEを抑える研究があります
乳がん細胞にHPSE-specific siRNAを導入した研究では、HPSEの発現を抑えることによって、
- 浸潤
- 細胞接着
- 血管新生
- 転移
が低下しました。
動物モデルでも、HPSEを抑制した群では血管新生や転移が減少しています。
参考:Zhang ZH, et al. Silencing of heparanase by siRNA inhibits tumor metastasis and angiogenesis of human breast cancer in vitro and in vivo. Cancer Biol Ther. 2007. PMID:17457040 DOI:10.4161/cbt.6.4.3888
胃がんでも同様の結果
胃がん細胞を用いた研究でもHPSEをsiRNAによって抑えることで、
- 増殖
- 細胞接着
- 遊走
- 浸潤
- 血管新生
の低下が報告されています。
参考:Zheng L, et al. Small RNA interference-mediated gene silencing of heparanase abolishes the invasion, metastasis and angiogenesis of gastric cancer cells. BMC Cancer. 2010;10:33. PMID:20137078 DOI:10.1186/1471-2407-10-33
DNAアプタマーでHPSEを狙う研究
HPSEに対するアプローチとして、DNAアプタマーを使った研究もあります。
アプタマーとは、特定のタンパク質に結合するように設計された短い核酸です。
研究では、活性型HPSEに強く結合するDNAアプタマーが作製され、
- HPSEを認識する
- HPSEの酵素活性を阻害する
- HPSEに依存したがん細胞の浸潤を抑える
ことが確認されています。
つまり、
HPSEの産生を抑えるだけではなく、すでに存在するHPSEタンパクそのものをアプタマーで狙う
という考え方です。
参考:Simmons SC, et al. Development of novel single-stranded nucleic acid aptamers against the pro-angiogenic and metastatic enzyme heparanase (HPSE1). PMID:22719856
さらに口腔がんを対象とした研究でも、anti-HPSE aptamerによってHPSE酵素活性が抑制され、がん細胞の組織浸潤が低下したことが報告されています。
参考:Anti-heparanase aptamers as potential diagnostic and therapeutic agents for oral cancer. PMID:25295847
HPSEは抗がん剤耐性にも関係する可能性
HPSEは単に転移に関係するだけではありません。
近年注目されているのが、
抗がん剤耐性との関係です。
HPSEが増えることでオートファジーと呼ばれる細胞の生存機構が活性化し、
- 腫瘍増殖
- ストレス耐性
- 抗がん剤耐性
が高まる可能性が報告されています。
参考:Heparanase Enhances Tumor Growth and Chemoresistance by Promoting Autophagy. Cancer Res. 2015. PMID:26249176
HPSE阻害とゲムシタビンの併用
膵がんでは、HPSEを含むheparan sulfate系を標的とする治療と、ゲムシタビンを組み合わせる研究も行われています。
PG545というheparan sulfate mimeticをゲムシタビンと併用した前臨床研究では、
- がん細胞の生存率低下
- 運動能低下
- アポトーシス増加
などが認められました。
動物モデルでも、併用群では単剤より腫瘍増殖と転移が強く抑制されています。
参考:Jung DB, et al. The heparan sulfate mimetic PG545 interferes with Wnt/β-catenin signaling and significantly suppresses pancreatic tumorigenesis alone and in combination with gemcitabine. Oncotarget. 2015. PMID:25669977 DOI:10.18632/oncotarget.3214
ただしPG545はHPSEだけに作用する薬剤ではないため、この効果をすべてHPSE阻害だけで説明することはできません。
2026年、膵がんでさらに興味深い研究が報告
2026年には、膵管腺がん(PDAC)におけるHPSEと抗がん剤耐性について興味深い研究が報告されています。
この研究では、ヒト膵がん組織でHPSEやFGF1、FGF2の発現が増加しており、高発現は生存期間の不良と関連していました。
さらに重要なのは、
ゲムシタビンを投与するとHPSEとFGF1/FGF2が増加し、ゲムシタビン耐性腫瘍ではさらに増えていた
ことです。
HPSE inhibitorであるPI-88を使用すると、
- 膵星細胞の活性化抑制
- 細胞外マトリックスの硬化抑制
- FGF1/2シグナルの抑制
が認められました。
そして動物モデルでは、
PI-88+Gemcitabine+nab-Paclitaxel(Abraxane))
=HPSE阻害+ジェムザール+アブラキサン
の3剤併用が、単剤または2剤併用よりも強く腫瘍増殖を抑え、生存期間も延長しました。
免疫環境についても、
- M2マクロファージ低下
- 制御性T細胞低下
- M1マクロファージ増加
- CD8陽性T細胞増加
- NK細胞増加
が報告されています。
参考:Chen CJ, et al. Heparanase blockade sensitizes pancreatic ductal adenocarcinoma cells to chemotherapy and unleashes antitumor immunity. Biomed Pharmacother. 2026;199:119442. PMID:42105693 DOI:10.1016/j.biopha.2026.119442
HPSEという標的をどう考えるか
これまでの研究をまとめると、HPSEは、
1.がんの浸潤・転移
2.血管新生
3.腫瘍周囲の間質形成
4.抗がん剤耐性
5.腫瘍免疫環境
など、がんの進展に関わる複数の現象と関連していることが報告されています。
そのためHPSEは、
「がん細胞そのもの」だけではなく、
「がん細胞+間質+血管+免疫環境」をつなぐ治療標的
として研究されています。
特に、
- 浸潤性が強いがん
- 転移性がん
- 肝転移などの血行性転移
- 腹膜播種
- 膵がんなど間質形成が強いがん
- 抗がん剤抵抗性が問題となるがん
などでは、研究上、非常に興味深い治療標的の一つと考えられます。
実際、HPSEをsiRNAやDNAアプタマーなどによって抑制する基礎研究では、がん細胞の浸潤や血管新生、転移などが抑制されたという報告があります。
また、近年の膵がんの前臨床研究では、HPSEを阻害することによって腫瘍周囲の間質や免疫環境が変化し、Gemcitabine+nab-Paclitaxel(ジェムザールとアブラキサン)などの抗がん剤治療の効果を高める可能性も示されています。
こうした研究結果を見ると、HPSEは、がん治療において将来的な可能性が期待されている標的の一つと考えることができます。
一方で、現在報告されている研究には、細胞実験や動物実験などの前臨床研究が多く含まれています。
HPSEを標的とする治療そのものが、すでに大規模な臨床試験によって有効性を確立し、標準治療として認められているわけではありません。
現在、一部の自由診療医療機関では、DNAアプタマーを用いてHeparanase(HPSE)を標的とする治療も行われています。
HPSEという標的自体については、これまでの基礎研究や前臨床研究から、がんの浸潤・転移・血管新生・薬剤耐性などに関わる生物学的に非常に興味深い標的であることは示されています。
そのため、HPSEを標的とする治療には一定の科学的・理論的な合理性があり、今後の研究が期待される治療アプローチの一つと考えることができます。
ただし、DNAアプタマーによるHPSE阻害治療については、現時点では多数の患者さんを対象とした大規模臨床試験によって有効性が十分に確立された治療ではありません。
したがって、実際にこのような治療を検討される場合には、そういったことも考慮に入れて検討してもらえたらと思います。
今後、HPSEを標的とする治療について、より大規模な臨床研究が進み、その有効性や適切な対象患者が明らかになっていくことが期待されます。















