なぜMUC1を標的とすることが、がん治療として注目されているのか
がん治療では、がん細胞に多く存在する分子を見つけ、その分子を治療標的とする研究が進められています。
その中の一つが、MUC1(Mucin 1)です。
MUC1は、もともと正常な上皮細胞にも存在する膜貫通型の糖タンパク質です。
しかし、多くの上皮性がんでは、
- MUC1が過剰に作られる
- 本来とは異なる場所に存在する
- 糖鎖の構造が異常になる
といった変化がみられます。
さらに、がんにおけるMUC1は単なる「がんの目印」ではなく、
がん細胞の増殖、浸潤、転移、薬剤耐性などにも関与する分子として研究されています。
そのため、
「MUC1が多いがん細胞を狙う」だけではなく、「MUC1そのものの働きを抑える」
という治療戦略が研究されています。
目次
MUC1が多いがんでは予後が悪いという報告
MUC1とがん患者さんの予後との関係については、大規模なメタ解析があります。
2015年に報告された研究では、23研究・3,425人の上皮性がん患者を解析しています。
その結果、MUC1陽性の患者群では、全生存期間が不良であることが示されました。
固定効果モデルでは、HR 1.98と報告されています。
特に、
- 胃がん
- 大腸がん
- 胆管がん
- 非小細胞肺がん
では、MUC1高発現と生存期間不良との有意な関連が認められました。
また、
- 大腸がんでは進行したTNM stage
- 胃がんではリンパ節転移
との関連も報告されています。
つまりMUC1は、特定の一つのがんだけではなく、複数の上皮性がんにおいて悪性度や予後と関連する分子である可能性があります。
参考:Xu F, et al. Prognostic Significance of Mucin Antigen MUC1 in Various Human Epithelial Cancers: A Meta-Analysis. Medicine (Baltimore). 2015;94(50):e2286. PMID:26683959 DOI:10.1097/MD.0000000000002286
この論文では実際に3,425人・23研究が解析され、MUC1陽性とOS不良との関連が示されています。
MUC1そのものを抑えるとどうなるのか
「MUC1が多いがんほど悪性度が高い」という関連だけでは、MUC1ががんの進行に直接関係しているのかは分かりません。
そこで研究されているのが、MUC1そのものを低下させる実験です。
ヒト膵がん細胞PANC-1に、MUC1を標的とするsiRNAを導入した研究があります。
MUC1を低下させることで、
- 培養細胞でがん細胞の増殖が低下
- マウスモデルでも腫瘍の増殖速度が低下
しました。
つまり、MUC1は単なる腫瘍マーカーではなく、MUC1そのものを抑えることで腫瘍増殖が低下する可能性が実験的に示されています。
参考:Yuan Z, et al. MUC1 Knockdown With RNA Interference Inhibits Pancreatic Cancer Growth. J Surg Res. 2009;157(1):e39-e46. PMID:19482310 DOI:10.1016/j.jss.2008.09.005
この研究では、MUC1-specific siRNAによるMUC1 knockdownで、PANC-1の増殖低下とSCIDマウスでの腫瘍増殖抑制が確認されています。
miRNAによってMUC1を抑える研究
MUC1はsiRNAだけではなく、miRNAによって抑える研究もあります。
膵がん細胞を用いた研究では、miR-29aとmiR-330-5pという2種類のmiRNAが、MUC1 mRNAに直接結合してMUC1の発現を低下させることが示されています。
その結果、
- がん細胞の増殖低下
- migration(遊走)の低下
- invasion(浸潤)の低下
が認められました。
さらに重要なのが、ゲムシタビンに対する感受性が高くなったことです。
つまり、
MUC1を低下させる
↓
増殖・浸潤を抑える
↓
ゲムシタビンが効きやすくなる可能性
という一連の結果が示されています。
参考:Tréhoux S, et al. Micro-RNAs miR-29a and miR-330-5p function as tumor suppressors by targeting the MUC1 mucin in pancreatic cancer cells. Biochim Biophys Acta. 2015;1853(10 Pt A):2392-2403. PMID:26036346 DOI:10.1016/j.bbamcr.2015.05.033
この論文では、MUC1への直接結合に加え、増殖・遊走・浸潤の抑制、Gemcitabine感受性の増加、さらに動物モデルでの腫瘍増殖抑制まで報告されています。
DNAアプタマーでMUC1/Yを狙う研究
MUC1にはいくつかの種類があります。
その一つが、MUC1/Yです。
MUC1/YはMUC1のsplice variantの一つで、通常のMUC1とは一部構造が異なります。
このMUC1/Yを特異的に認識するDNAアプタマーも開発されています。
研究では、MUC1/Yを標的とするDNAアプタマーが、
- MUC1/Y陽性のヒトがん細胞へ結合
- MUC1/Y陽性細胞の増殖を抑制
- 乳がん動物モデルで腫瘍増殖を抑制
したことが報告されています。
ここが非常に興味深い点です。
一般的なMUC1アプタマーでは、「MUC1をがん細胞の目印として、薬を届ける」という研究が多く行われています。
しかし、このMUC1/Yアプタマーでは、アプタマーそのものによる抗腫瘍作用が報告されています。
参考:Khan H, et al. Development, Characterization, and In Vivo Evaluation of a Novel Aptamer (Anti-MUC1/Y) for Breast Cancer Therapy. Pharmaceutics. 2021;13(8):1239. PMID:34452200 DOI:10.3390/pharmaceutics13081239
PubMedの原著でも、MUC1/Y陽性細胞のin vitro増殖抑制と、乳がんモデルにおけるin vivo腫瘍増殖抑制が報告されています。
MUC1は抗がん剤耐性にも関係する
MUC1を治療標的として考える上で、特に重要なのが、抗がん剤耐性との関係です。
膵がん細胞を調べた研究では、MUC1を多く発現しているがん細胞は、MUC1の少ない細胞と比べて、
- Gemcitabine
- Etoposide
に対する抵抗性が高くなっていました。
その理由の一つとして、
- ABCC1
- ABCC3
- ABCC5
- ABCB1
などの、multidrug resistance(MDR)関連遺伝子の増加が確認されています。
特にABCC1から作られるMRP1というタンパク質は、抗がん剤を細胞の外へ排出する働きに関係します。
つまり、
MUC1高発現
↓
MDR関連遺伝子増加
↓
抗がん剤を細胞外へ排出しやすくなる
↓
抗がん剤が効きにくくなる
という仕組みが考えられます。
参考:Nath S, et al. MUC1 induces drug resistance in pancreatic cancer cells via upregulation of multidrug resistance genes. Oncogenesis. 2013;2(6):e51. PMID:23774063 DOI:10.1038/oncsis.2013.16
この研究では、MUC1高発現膵がん細胞でGemcitabineおよびEtoposideへの抵抗性が高く、MDR関連遺伝子の増加も確認されています。
MUC1を抑えるとGemcitabineが効きやすくなる可能性
ここまで紹介した2つの研究を合わせると、非常に興味深い流れが見えてきます。
一つの研究では、MUC1が多いほどGemcitabineに抵抗性を示すことが報告されています。
一方、別の研究では、miRNAによってMUC1を低下させるとGemcitabineへの感受性が高まることが報告されています。
つまり、
MUC1高発現
↓
薬剤耐性増加
という方向と、
MUC1抑制
↓
Gemcitabine感受性増加
という逆方向の結果が、別々の研究から示されています。
これは、
MUC1を標的とすることで、がん細胞そのものを抑えるだけではなく、抗がん剤抵抗性を弱められる可能性を考える上で重要な研究結果です。
ただし、これらは主として細胞・動物レベルの研究であり、MUC1を阻害すれば患者さんで必ずGemcitabineが効きやすくなることが証明されているわけではありません。
MUC1という標的をどう考えるか
これまでの研究をまとめると、MUC1には大きく次の特徴があります。
1.多くの上皮性がん(肺がん、胃がん、大腸がん、乳がん、前立腺がん、膵がん、肝細胞がん、子宮頸がん・子宮体がん、卵巣がんなど)で過剰発現している
2.MUC1高発現と悪性度・予後不良との関連が報告されている
3.MUC1そのものを抑えると、がん細胞の増殖を抑制できる可能性がある
4.siRNA、miRNA、DNAアプタマーなど複数の核酸技術によって標的化できる
5.MUC1は抗がん剤耐性にも関与している可能性がある
6.MUC1を抑えることでGemcitabine感受性が改善する可能性が前臨床研究で示されている
という特徴があります。
つまりMUC1は、
単なる「がん細胞の目印」ではなく、がん細胞の増殖・浸潤・薬剤抵抗性そのものに関係する治療標的として研究されています。
MUC1/Yアプタマー治療への期待と現在分かっている限界
MUC1を標的とする核酸治療には、一定の科学的・生物学的な合理性があります。
特にMUC1/Yについては、MUC1/Yを特異的に認識するDNAアプタマーが開発され、
がん細胞の増殖抑制や、動物モデルでの腫瘍増殖抑制
が報告されています。
その意味では、
MUC1/Yは、DNAアプタマーによるがん治療を考える上で興味深い標的の一つ
と考えられます。
またMUC1自体が、
- 腫瘍増殖
- 浸潤
- 転移
- 薬剤抵抗性
などに関係していることから、
「MUC1陽性がん細胞を狙う」というだけでなく、「MUC1の働きを抑える」こと自体にも治療上の意味がある可能性
があります。
現在、一部の自由診療医療機関では、DNAアプタマーを用いてMUC1/Yを標的とする治療も行われています。
MUC1/Yという標的自体については、これまでの基礎研究や前臨床研究から、がんの浸潤・転移・血管新生・薬剤耐性などに関わる生物学的に非常に興味深い標的であることは示されています。
そのため、MUC1/Yを標的とする治療には一定の科学的・理論的な合理性があり、今後の研究が期待される治療アプローチの一つと考えることができます。
ただし、DNAアプタマーによるMUC1/Y阻害治療については、現時点では多数の患者さんを対象とした大規模臨床試験によって有効性が十分に確立された治療ではありません。
したがって、実際にこのような治療を検討される場合には、そういったことも考慮に入れて検討してもらえたらと思います。
今後、MUC1/Yを標的とする治療について、より大規模な臨床研究が進み、その有効性や適切な対象患者が明らかになっていくことが期待されます。
















